柴崎友香「かわうそ怪談堀見習い」角川文庫 2017年2月単行本刊行 2020年2月文庫化
純文学作家として知られる柴崎友香さんが怪談を書いた。
塞がれた押入れ、近付く足音、喫茶店で盗み聞きした会話、鏡の中の自分、、章ごとに怪しげな話が展開されていく。「二七 鏡の中」は文庫版のための書き下ろしだ。後引く不気味さから、思わず本を投げ出したくなるような即効的な怖さまで、振り幅のある恐怖が詰まっている作品だ。
柴崎さんの作品には登場人物がその街で生きていると感じられるものが多いが、恐ろしいことにこの作品でも同様の感想を抱いてしまう。怪奇な現象に溢れた主人公たちの世界がこの世界と地続きになったところにある、そう感じてしまうのが一番の恐怖体験かもしれない。大阪の街で、怪談小説を書き上げようとする主人公。目的は果たされるのだろうか。
覚えていること忘れていること消したこと
主人公は「恋愛小説家」という肩書を持つ小説家だ。にも関わらず、恋愛というものにそんなに興味がない。そもそも「恋愛小説」を書いたつもりもなく、たまたまデビュー作が恋愛もののドラマになり人気が出ただけだと言う。主人公は別のジャンルの作家になろうと思い立ち、怪談を書くことにする。怪談を書こうと決意したものの、わたしは幽霊は見えないし、そういう類いのできごとに遭遇したこともない。(P17)しかし、これまた得意なジャンルということでもなさそうだ。それなのになぜ怪談を? と思うが、選択した理由については明かされないまま
取材が始まっていく。
中学時代の友人たまみから、ネタの提供を受け、その手の話に詳しい人を紹介してもらうことで、主人公は不思議な体験談を獲得していく。取材と言っても堅苦しいものではなく、側から見れば「女性二人がご飯を食べながら怖い話をしている」ように感じられるであろう。例えばこういった具合だ。
溶けたチーズの乗った分厚いトーストを一切れ手に取り、たまみは言った。このような気の張らない二人のやりとりもまた一興だ。柴崎友香さんが描くとなんてことない友人同士の会話も、「なんかいいなぁ」と思えてしまう。四代目と呼ばれる男性とのやりとりも怖さと微笑ましさとが混じり合っていて、読者は色んな意味でドギマギしながら二人を追うことになるだろう。
「私な、蜘蛛に恨まれてるねん」
「蜘蛛に?」
「うん。蜘蛛に、配偶者の仇やって思われてる」
ハヤシライスをゆっくりと食べながら、わたしはその話を聞いた。(P 33)
こういった日常の延長または一部に怪談があるという構図は徹底されていて、あくまで「怪談小説を書こうと思っている主人公が小説を書くまでの話」であり「怪談集」という形にはなっていない。これによって各章の怪談とは別に大きなストーリーも展開されていくことになる。
ある日のたまみとの別れ際のシーンである。
「幽霊、見たことないって言うたやん」主人公は、幽霊を見たことないし、そういう類いの出来事に遭遇したこともないと言っていた。しかし、たまみはそれを否定する。
わたしは頷いた。
たまみは、わたしの目をじっと見た。
「それ、ウソついてるで」
ドアが閉まり、車両は動き出した。窓越しに、たまみは笑顔で手を振って、離れていった。 (P 24)
こうして、たまみだけが覚えている過去の存在が明らかになる。主人公はその過去を忘れたのか、消したのか、改変したのか、この時点では定かではない。主人公が過去の記憶を思い出していくにつれて、たまみがある種の感情を主人公に対しあらわにしていくのも印象深い。
幽霊にとっては自分があの世の人
この小説を読むまで、幽霊というものはわたしを怖がらせたりあの世に引き摺り込んだりするために姿を現す存在だと思っていた。しかし、この本に出てくる幽霊のようなものたちの多くは、ただいつも通りでいさせてくれと思っているように感じる。
何度買ってももとの古書店に戻ってしまう本。見知らぬ男に踏まれてしまう影。駅から家まで後をつけられたおばさん。
本を何度も買ったのも、影を踏むのも、電車から後をつけたのもこちら側の人間だ。
あちらの世界のものを怖がらせてしまったのはこちらの世界の住人である。こうして思考が逆転していく感覚というのもまた、恐怖に程近い。
窓の内側の灰色のカーテンまで閉じ、人の気配のまったくないその窓を、徐々にスピードを上げていくバスから見送った。
違う。私のほうが見送られている、と感じていた。(P10)
それが意図的な場合もあれば、ひょんなきっかけで怖がらせてしまうこともあるだろう。
世界と世界の枠組みが重なってしまって、どちらの世界も行き来できるような場所、あるいはただ覗けるような場所から、互いに驚かし合うこともありうるのだなと、妙に信じてしまえるようになった。くわえて世界はあの世とこの世だけでなく無限にある。この世以外を全て「あの世」と称すだけで。
引き出しの中や押し入れの中、窓の向こう側、日常にもきっといろんな世界と枠組みを一にしている場所があるのかもしれない。きっと今日だって気がつかないだけで、その枠組みを見ている。
引き出しの中や押し入れの中、窓の向こう側、日常にもきっといろんな世界と枠組みを一にしている場所があるのかもしれない。きっと今日だって気がつかないだけで、その枠組みを見ている。
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