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4月, 2020の投稿を表示しています

老いる楽しみ|若竹千佐子「おらおらでひとりいぐも」

若竹千佐子「おらおらでひとりいぐも」河出書房新社 2017年初版  先立つ夫を見送って以来、一人孤独な生活を送っている桃子さん。物思いにふけることが増えた桃子さんは、今がしっかりものを考える最後のチャンスかもしれないと考えた。七十五年の歳月を振り返り、桃子さんはいったい何を思うのか。老いと孤独、母と娘の連鎖、愛し抜いた男との別れ、故郷の思い出、一たび考え始めると桃子さんの心の中には声が溢れ出す。孤独の果てに桃子さんが手に入れたものとは。  老いることでしか桃子さんの境地には至れない、そう思った。手の届かぬところに桃子さんは行ったんだと。 老いてみなければわからない楽しさがある と思えた作品である。  文藝賞・芥川賞受賞作品。田中裕子さんを主演に2020年映画公開予定。 重みのある言葉 桃子さんの内側には声が溢れていた。それも一人ではなく、年齢も性別も不詳の大勢の声である。桃子さんのふとした心の取っ掛かりを広げ、掘り下げていくように、声たちはやりとりを始める。桃子さんはその声たちのことを「 柔毛突起ども 」と呼んでいた。桃子さんの故郷・岩手弁の柔毛突起どもと、標準語の桃子さんの掛け合いは、読者までも思考の渦に引き込んでいく。 若さというのは今思えばほんとうに無知と同義だった。何もかも自分で経験して初めて分かることだった。ならば、老いることは経験することと同義だろうか、分かることと同義だろうか。老いは失うこと、寂しさに耐えること、そう思っていた桃子さんに幾ばくかの希望を与える。楽しいでねが。なんぼになっても分がるのは楽しい。内側からひそやかな声がする。その声にかぶさって、  んでもその先に何があんだべ。おらはこれがら何を分がろうとするのだべ、何が分がったらこごがら逃してもらえるのだべ。正直に言えば、ときどき生きあぐねるよ。(P30~ 31) 「なんぼになっても分がるのは楽しい」と希望を見出したすぐ後で「何が分がったらこごから逃してもらえるのだべ」と続く。  柔毛突起のやりとりは、ふわりふわりと思考を転々としているかと思えば、 不意に思わぬ着地を見せる 。そこに待っている言葉は、文字を読むことを止めさせるような重みがあった。 すんなりとは飲み込めない凄味 があった。それは、桃子さんの痛みや悲しみを訴える声の時もあれば、桃子さんが人生

純粋でいられたら | 村田沙耶香「ぼくの ポーポが こいを した」

村田沙耶香 作/米増由香 絵/瀧井朝世 編「ぼくの ポーポが こいを した」岩崎書店 2020年4月 初版  ぬいぐるみのポーポと、ぼくのおばあちゃんが結婚する。「きもちわるいよ」そう言われるおばあちゃんの心は、純粋な気持ちで溢れていた。  およそ30ページの絵本でも、著者・村田沙耶香さんの色はちっとも薄まることなく、むしろ凝縮されているようにも感じる。米増さんの描く迫力のある絵とともに、恋の尊さを優しく教えてくれる一冊。 おばあちゃんの恋は誰のもの  にちようび ぼくの おばちゃんが、 ぼくの ぬいぐるみの ポーポと けっこんする。 「ぼく」のおあばちゃんは「ぼく」のぬいぐるみのポーポと夜な夜なキスをする仲である。晴れて結婚する運びとなったが、「ぼく」は反対だ。  「ぼく」は、 おばあちゃんは人間で、ポーポはぬいぐるみだから、ぜったいに変 だということを主張する。ここで、登場するのが「ミカおかあさん」と「ユカおかあさん」だ。「ぼく」には 二人のお母さん がいる。しかし、二人のお母さんはポーポとおばあちゃんの結婚に大賛成で、準備を進めていく。反対しないの? と聞く「ぼく」に、二人のお母さんはこう答える。  「しないよ。わたしたち、ママの みかたよ」 「そうよ。おばあちゃんの こいは、おばあちゃんの ものだもの」 ポーポにも相手にされなくなり寂しさを募らせ、おばあちゃんには「きもちわるいよ」と言ってしまった「ぼく」。そんな「ぼく」も、おばあちゃんの姿をみて気持ちを変えていく……。  ちなみにおばあちゃんが結婚式に来たドレスの色は、オーソドックスなものではなかったので大変驚いた。何色のドレスを着たか、村田沙耶香さんのファンならもしかしたら当てられるかもしれない。是非、想像してから本書で確かめてほしい。 純粋と狂気  パラパラとこの絵本を開いた時に、私が初めて見たのは、細かな模様で埋め尽くされたページだった。うわっと驚いたのを覚えている。「狂気じみた細かさ」を感じたのである。しかし、よく見てみると、線からはみ出ている部分や、色にムラがある部分もあり、大変不規則で雑っぽい。しかし、その雑さが、なぜだか温もりを感じさせた。  優しさと狂気の両方を感じられる絵。村田沙耶香さんの作品にもそういうところがあるので、とても素晴ら

信仰の下で育つ|今村夏子「星の子」

今村夏子「星の子」 朝日文庫 2019年12月文庫化  病弱なちひろの体を救ったのは、『金星のめぐみ』という名の水だった。そのことをきっかけに宗教にのめり込んでいくちひろの両親。成長するにつれ、ちひろは自分の家庭と外の世界とのギャップを感じるようになる。子どもの視点で描かれた、とある家族の物語。  芥川賞&本屋大賞ノミネート作品。野間文芸新人賞受賞作品。2020年、芦田愛菜を主役に映画公開予定。文庫化にあたり、小川洋子さんとの対談を収録。 信仰の下で育つということ    宗教にのめり込んだ両親から、ちひろは当然のことながら影響を受けて育っていく。信仰の下で育つということがどういうことなのかが、この作品では大変リアルに描かれているように思う。  ちひろの両親に『金星のめぐみ』を勧めたのは、父の会社の同僚・落合さんだった。ある日、落合さんの家を訪ねると、夫妻は頭に白いタオルを乗っけていた。 五歳のちひろはそれを見て、なんだかおかしいと感じて笑う 。  落合さんは、タオルの効果を熱弁し、ちひろの父にも試させる。 洗面器の水に、タオルを浸し、軽くしぼったものを折り畳んで頭の上に乗せた。 「ア……、ア、なるほど……」 「どうですか」 「なるほど。こういうことですか」 「巡っていくのがわかるでしょう」 「わかります」(P16) 洗面器の水、というのはもちろん『金星のめぐみ』である。どうやら、 宇宙に一番近い頭部から直接働きかける ことで、体内の何かが作用するらしい。  この日から、ちひろの家庭では、 家で頭にタオルを乗せて暮らす のが当然のこととなった。ちひろは、抵抗感を抱くことなく両親の信仰に馴染んでいく。    信仰は徐々にちひろたちの家庭を歪めていく。引っ越すたびに家は狭くなり、両親は身なりにも気を使わなくなっていく。落合家から食料を袋いっぱいもらうのが当然になり、晩ご飯の話になれば豆腐とご飯を食べると言うちひろ。両親は一日に一食程度しか食べない。それでも、 部屋を圧迫するほどの新しい祭壇は購入する 。    「だまされてる」そう訴える親戚のおじさん。「信じてるの?」ちひろに問うクラスメートのなべちゃん。ちひろは、宗教の外側にいる人たちに触れながら成長していく。そして、高校進学を機にうちに来ないかと、親戚に誘

文學界5月号|鼎談.綿矢りさ×朝吹真理子×村田沙耶香|新人賞「アキちゃん」三木三奈

文學界5月号 文藝春秋 2020年4月  「綿矢りさ×朝吹真理子×村田沙耶香」という並びの鼎談よみたさに購入した文學界5月号。コロナの影響で書店が閉まってしまったけれど、文學界5月号は滑り込みで購入できた。これがもう鼎談はもちろん、新人賞作品やその選評も面白かったので、記録。 仲良さげな鼎談にほっこり  綿矢りさ×朝吹真理子×村田沙耶香の鼎談は、好きな作家たちが好きな話をしていることのありがたさを感じながら楽しんだ(収録は2月6日)。コロナ禍でコロナの話をしていない人を探すというのも難しい状況になってきたので、純度高めのオアシスのようで、大変満足。ほっこり。笑った。 ハイライト1 コスプレ  コスプレ仲間だという三人がメイクレッスンにいった、という話から鼎談スタート。しかし、村田さん「 Amazonでなまはげセットを買ったらお面がついてきて…… 」ということで、メイクの必要のない対象を選択してしまう。  ちなみにペニーワイズになった綿矢さんと、安倍晴明になった朝吹さんの写真も掲載されている。 キャプションがお二人の名前じゃなく「ペニーワイズ」「安倍晴明」 っていうのも個人的につぼ。 ハイライト2  印刷機  村田さんの印刷するのが好きという話から、綿矢さんの印刷機の話に。   綿矢  そうだねー。印刷って、そんなに簡単にパッパッてできる感じなん? うちのはFAXがついてるプリンターなんだけど、一枚印刷するのに結構な時間がかかって。専用のプリンター買ったほうがいい?   村田  今は安くていいやつがあるよ。   朝吹  ポータブルで、なんなら出張に持って行けるっていうのもあるよ。 この会話もテンポが良くて好きなのだけれど、この後に続く、擬音語で互いの印刷機の性能を説明するくだりが、とてもよかった。 面白いところだけつまんだが、編集者との関係や、主人公と自分との関係などは、興味深く読めた。この三人が好きな方は必読。 新人賞「アキちゃん」三木三奈  わたしはアキちゃんが嫌いだった。大嫌いだった。当時は大嫌いという言葉ではおさまりきらないものがあった。それは憎しみにちかかったかもしれない。いや、ほとんど憎しみだった。わたしはアキちゃんを憎んでいた。  という文章から始まる第125回文學界新人賞

生めるからつきまとう|川上未映子「夏物語」

川上未映子「夏物語」文藝春秋 2019年7月 初版  「自分の子供に会ってみたい」三十八歳の夏子は、日に日に増すその思いを無視できなくなっていた。しかし、パートナーはおらず、性行為もできそうにない。もし、誰かの精子さえあれば、生むことはできるが……。  生む・生まないということについて考えざるを得なかった周囲のものたちの痛みに触れながら、夏子は自身の声を拾っていく。夏子の三十八年分の人生を感じられる、550ページを超える長編作。  第73回毎日出版文化賞文学・芸術部門受賞作。2020年本屋大賞ノミネート作品。 想像を超える背景がある   本作は一部と二部に分かれている。一部は、芥川賞受賞作品の『乳と卵』の加筆修正版である。  小説家を目指し東京で暮らしている夏目夏子、三十歳。一部では、豊胸手術をしたい三十九歳の姉・巻子と、思春期を迎え身体の変化に嫌悪感を抱く姪・緑子に、振り回されながら接する夏子が描かれている。賑やかに大阪弁で言葉を交わす姉妹に対して、十二歳になる緑子は口を閉ざしたままだ。読者は、緑子の胸中を文中に挿入された日記を通して知ることになる。 生むまえに体をもどすってことなんやろか、ほんだら生まなんだらよかったやん、お母さんの人生は、わたしを生まなかったらよかったやんか、みんなが生まれてこんかったら、なにも問題はないように思える。誰も生まれてこなかったら、うれしいも、かなしいも、何もかもがもとからないのだもの。(P134) 緑子は「 生まれてきたら最後、(中略)お金をかせぎつづけて、生きていかなあかんのは、しんどいこと 」という思いを抱き、絶対に子どもを生まないとまで書き記している。シングルマザーの巻子が働き詰めになって疲れているのは、子どもであるわたしがいるからだと感じ、早くお金を稼ぎたいと緑子は思う。しかし、緑子にはまだそれはできない。  緑子が反出生主義を唱えるのは、貧困の家庭で育ったことと、母・巻子の苦労を自分のことのように感じてしまう関係性が影響しているように感じられる。  本作で様々な立場から繰り出される発言には、緑子のように相応の背景を感じられる。すべての意見に納得できないとしても、きっと誰も頭ごなしに否定することはできない。   二部では、三十八歳になった夏子が、このまま自分の子ども

繋がりの濃淡|沼田真佑「影裏」

沼田真佑「影裏」文藝春秋 2017年7月 初版  ある日突然、親友が姿を消した。追い求めるうちに、自分の知らない友の顔が明らかになっていく。  人と人が繋がるとは一体何を指すのだろうか。今作は、人の繋がりの濃淡が描かれた一作のように思う。  沼田さんは本作で第122回文學界新人賞を受賞しデビューし、第157回芥川賞を獲得した。2020年、綾野剛と松田龍平のW主演で映画化された。 「生」を感じる描写がすごい 岩手に異動してきた主人公・今野。仕事先で出会った日浅とは、年中川釣りに出かける仲となる。ということで、本作には川釣りの場面が度々登場するのだが、 とにかく豊かな描写の連続 で読んでいて非常に楽しい。例えば、釣りの餌を川に投げ込む様子はこう描かれている。 糸はナイロンなのでブランコのように自身の重みでもたつきながら川面を渡り、対岸すれすれの深みに正確に落ちた。冷たい川水にさらされイクラの赤味がほの白くぼやけ、見る見る水底へと消えていった。(P12) 私には釣りの経験がないが、この文章を読んだ時とても鮮明に脳内で再生された。 文章から情景を思い浮かべる小説の面白さ が詰まっている本だと感じた。  また今野は、川釣りをする過程で色んな生物の存在を感じている。それらの描写も秀逸だ。 林の下草からは山楝蛇が、本当に奸知が詰まっていそうに小さくすべっこい頭をもたげて水際を低徊に這い出す姿を目の当たりにした。(P5)  山楝蛇(やまがかし)*カカシは古語で蛇を意味する。ヤマガカシで山の蛇をさす。  奸知(かんち)*悪いことを考え出す知恵のこと  緑豊かな場所では、人間の顔色を伺うことなく、生物たちが生きているのだということが感じられる。そして、そういう場所で釣りをしている今野と日浅がキラキラして見えて仕方がなかった。  自然以外にもう一つ、丁寧に描写されたものがある。今野の 親友である日浅だ 。  後ろ手に日浅に水筒を渡すと、喉を縦にして美味しそうに飲んだ。眠たげな瞼のあいだをいっそう細めて、手の甲で日浅は唇をぬぐい、眉に溜まった汗の滴は指先でつまんでそこらへんに捨てた。 日浅は何度も「生」を感じられるような描写で登場してくる。他の人間たちの描写は、これほど生々しいものには至っていない。今野が釣りの楽しさに没頭するのと同じく