スキップしてメイン コンテンツに移動

信仰の下で育つ|今村夏子「星の子」

今村夏子「星の子」 朝日文庫 2019年12月文庫化
 病弱なちひろの体を救ったのは、『金星のめぐみ』という名の水だった。そのことをきっかけに宗教にのめり込んでいくちひろの両親。成長するにつれ、ちひろは自分の家庭と外の世界とのギャップを感じるようになる。子どもの視点で描かれた、とある家族の物語。
 芥川賞&本屋大賞ノミネート作品。野間文芸新人賞受賞作品。2020年、芦田愛菜を主役に映画公開予定。文庫化にあたり、小川洋子さんとの対談を収録。




信仰の下で育つということ  

 宗教にのめり込んだ両親から、ちひろは当然のことながら影響を受けて育っていく。信仰の下で育つということがどういうことなのかが、この作品では大変リアルに描かれているように思う。
 ちひろの両親に『金星のめぐみ』を勧めたのは、父の会社の同僚・落合さんだった。ある日、落合さんの家を訪ねると、夫妻は頭に白いタオルを乗っけていた。五歳のちひろはそれを見て、なんだかおかしいと感じて笑う
 落合さんは、タオルの効果を熱弁し、ちひろの父にも試させる。
洗面器の水に、タオルを浸し、軽くしぼったものを折り畳んで頭の上に乗せた。
「ア……、ア、なるほど……」
「どうですか」
「なるほど。こういうことですか」
「巡っていくのがわかるでしょう」
「わかります」(P16)
洗面器の水、というのはもちろん『金星のめぐみ』である。どうやら、宇宙に一番近い頭部から直接働きかけることで、体内の何かが作用するらしい。
 この日から、ちひろの家庭では、家で頭にタオルを乗せて暮らすのが当然のこととなった。ちひろは、抵抗感を抱くことなく両親の信仰に馴染んでいく。
 
 信仰は徐々にちひろたちの家庭を歪めていく。引っ越すたびに家は狭くなり、両親は身なりにも気を使わなくなっていく。落合家から食料を袋いっぱいもらうのが当然になり、晩ご飯の話になれば豆腐とご飯を食べると言うちひろ。両親は一日に一食程度しか食べない。それでも、部屋を圧迫するほどの新しい祭壇は購入する
 
 「だまされてる」そう訴える親戚のおじさん。「信じてるの?」ちひろに問うクラスメートのなべちゃん。ちひろは、宗教の外側にいる人たちに触れながら成長していく。そして、高校進学を機にうちに来ないかと、親戚に誘われて……。

 辛く切ない話になりそうな題材が揃っているのに、不思議と作品全体の雰囲気は暗くはない。中学生以下のちひろの視点を通じて描かれているからか、リアルな金額の話や将来の不安は全くないし、恋に落ちたり友達と喧嘩したりと、至って標準的な痛みを伴う学生生活に感じられる。ちひろ自身が今の環境を苦と思っていないことが、雰囲気を明るくしているようにも思う。しかし、そのことがかえって読者の胸を締め付け、悩ませる。

会話に滲みでる心情

 本作には会話ベースで描かれる場面が、いくつか登場する。以下は、『金星のめぐみ』を飲むちひろと、クラスメートのなべちゃんとの会話である。
「あたしならジュース飲むけど」
「ジュースと比べないでよ。特別な水なんだから。有名な学者が認めてるんだから」
「有名な学者って誰?」
「名前忘れたけど、どっかの大学のえらい人」
「その学者実在するの? にせものか、架空の人物なんじゃない?」
「ない、ない。海路さんの親戚に当たる人なんだから」
「ほんと? じゃあその、かいろさんっていう人がだまされてるんじゃない?」
「誰に?」
「だから、にせものの学者に」(P111)
 この後には更に七つのカギかっこが続く。会話以外の描写がない分、登場人物たちの特徴がダイレクトに伝わってくる。なべちゃんの歯に衣着せぬ言い方も目立つが、ちひろがなべちゃんとの会話にダメージをくらっていない感じも読み取れる。
 両親とちひろが星を見るラストシーンでは、会話から滲み出る複雑な心情が、読後に深く残る。

『星の子』
今村夏子


コメント

このブログの人気の投稿

人生を垣間見る|柴崎友香『百年と一日』

  柴崎友香『百年と一日』 筑摩書房 2020年初版  見ず知らずの誰かの物語を集めた一冊。作家生活20周年で柴崎友香さんがこの世に送り出してきた一冊はまさに傑作でした。    「タイトルすごくない?」と話したい   この小説には33編の短い話が収められている。なんといっても各話の 独特なタイトル が印象的なのでちょっとこれを読んでほしい。 アパート一階の住人は暮らし始めて二年経って毎日同じ時間に路地を通る猫に気がつき、いく先を追ってみると、猫が入っていった空き家は、住人が引っ越して来た頃にはまだ空き家ではなかった  これはタイトルなのである。一読しただけではつかみとれないタイトルが目次を開くと広がっている。  他にもこんなタイトルも。 戦争が始まった報せをラジオで知った女のところに、親族の女と子どもが避難してきていっしょに暮らし、戦争が終わって街へ帰っていき、内戦が始まった  水島は交通事故に遭い、しばらく入院していたが後遺症もなく、事故の記憶もうすれかけてきた七年後に出張先の東京で、事故をおこした車を運転していた横田をみかけた   読み応えのあるタイトルに私はなんだかとても感動した。こんなにも不思議なタイトルを、ひとつならまだしも、いくつも考えられる人がいるということがちょっと信じられなかった。努力を帳消しにしてしまいそうであまり言わないようにしているが 「天才だな」 と思った。  そして、タイトルを読んだ時点でこれは多くの人に読んでほしいと思った。「すごいタイトルだね」「長っ」「私が好きなのはね、これ」と、この感動を共有したいと思ったのだと思う。 あなたもきっと想像してしまう  タイトルだけではなくしっかりと中身も面白いのでご安心を。  この小説に収められている物語は、登場人物が名前で描かれないことが多い。 なにか見えたような気がして一年一組一番が植え込みに近づくと、そこには白くて丸いものがあった。(P9)  その後もその者は『一組一番』と書かれ、新たに登場する者は『二組一番』と書かれる。徐々に「一組と二組は、顔を見合わせた」というように”一番”を省略しながらも徹底して名称は変わらない。『青木』と『浅井』だから二人が話すようになったと明かされても、二人は『一組一番』『二組一番』となのである。 また、別の話では『一人』と『もう一人』として描かれる二人が登場する。

生めるからつきまとう|川上未映子「夏物語」

川上未映子「夏物語」文藝春秋 2019年7月 初版  「自分の子供に会ってみたい」三十八歳の夏子は、日に日に増すその思いを無視できなくなっていた。しかし、パートナーはおらず、性行為もできそうにない。もし、誰かの精子さえあれば、生むことはできるが……。  生む・生まないということについて考えざるを得なかった周囲のものたちの痛みに触れながら、夏子は自身の声を拾っていく。夏子の三十八年分の人生を感じられる、550ページを超える長編作。  第73回毎日出版文化賞文学・芸術部門受賞作。2020年本屋大賞ノミネート作品。 想像を超える背景がある   本作は一部と二部に分かれている。一部は、芥川賞受賞作品の『乳と卵』の加筆修正版である。  小説家を目指し東京で暮らしている夏目夏子、三十歳。一部では、豊胸手術をしたい三十九歳の姉・巻子と、思春期を迎え身体の変化に嫌悪感を抱く姪・緑子に、振り回されながら接する夏子が描かれている。賑やかに大阪弁で言葉を交わす姉妹に対して、十二歳になる緑子は口を閉ざしたままだ。読者は、緑子の胸中を文中に挿入された日記を通して知ることになる。 生むまえに体をもどすってことなんやろか、ほんだら生まなんだらよかったやん、お母さんの人生は、わたしを生まなかったらよかったやんか、みんなが生まれてこんかったら、なにも問題はないように思える。誰も生まれてこなかったら、うれしいも、かなしいも、何もかもがもとからないのだもの。(P134) 緑子は「 生まれてきたら最後、(中略)お金をかせぎつづけて、生きていかなあかんのは、しんどいこと 」という思いを抱き、絶対に子どもを生まないとまで書き記している。シングルマザーの巻子が働き詰めになって疲れているのは、子どもであるわたしがいるからだと感じ、早くお金を稼ぎたいと緑子は思う。しかし、緑子にはまだそれはできない。  緑子が反出生主義を唱えるのは、貧困の家庭で育ったことと、母・巻子の苦労を自分のことのように感じてしまう関係性が影響しているように感じられる。  本作で様々な立場から繰り出される発言には、緑子のように相応の背景を感じられる。すべての意見に納得できないとしても、きっと誰も頭ごなしに否定することはできない。   二部では、三十八歳になった夏子が、このまま自分の子ども

かわうそ堀怪談見習いに出てくる地名から大阪に実在する場所を想像してみた

 先日、柴崎友香さんの「かわうそ堀怪談見習い」が文庫化された。柴崎さんは芥川賞を受賞してるしざっくり言ったら純文学作家だと思っていた。だから柴崎さんが怪談を書くことは意外だったし、柴崎さんの描く怪談がどんなものなのか想像もつかなかったから、本屋に向かう時とてもワクワクした。  ツタヤさんにいくと、角川文庫新刊のコーナーがあった。全ての本が表紙をこちらに向けて立っていたのですぐ見つかる気がした。  だけどなかった。焦りに似た気持ちを抱きながら、ぐるぐる本棚を周回して3周目、やっぱりあった。空に見えたスペースの奥にあった。上の段によって奥の方には光は届かずカバーも暗めだったから見えなかった。その時は、この街に柴崎友香のこの本を買う人がいて、多分数時間以内に買われたって事実に喜びを感じていた。  しかし「かわうそ堀怪談見習い」を読み終えた今、このことを思い返すと、少し怖い。 かわうそ堀は立売堀が元になっている 『かわうそ堀怪談見習い』に出てくる地名は、かわうそ堀←立売堀(いたちぼり)をはじめ実在の大阪の地名が元になっています。大阪の地図を見ながら楽しんでください。 pic.twitter.com/meb3ud2VdV — 柴崎友香 (@ShibasakiTomoka) March 2, 2020 実在する地名が元になっていると聞いて私は胸が高鳴った。本の中の人たちと繋がれる気がする。まぁそんなこんなで大阪の地図を眺めてみて本作品の地名に似ている地名をピックアップしおくことにする。それにしても「立売」で、イタチと読むとは初見ごろしだ。ちなみに、カバーイラストはしらこさん、カバーデザインは芥陽子さんだ。作品に通じるものがあってとても好きだ。   「立売堀」地名の由来を調べてみました。 『日本歴史地名大系 28-[1] 大阪府の地名 1』*1には、「名称の由来には諸説あるが、一般的には「摂津名所図会大成」にあるように、大坂冬の陣・夏の陣に際して伊達家の陣所が置かれていた地で、その要害の堀切であったところを堀足して堀川としたことから伊達(だて)堀と称され、のちに伊達(いだて)堀、伊達(いたち)堀とよばれるようになり、さらに近辺で木材の立売が許可されたため「立売堀」の字を用いるようになったとされる。なお「宝暦町鑑」「天保町鑑